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外科器具

外科器具の概要

外科器具の出現は紀元前1700年代のメソポタミア文明にまでさかのぼります。ユーフラテス川沿いに栄えた古代都市バビロンからは青銅製のメスが発見されています。明らかに手術に使用されたと確認されているのは、エジプトで発見された紀元前1300年代の腫瘍摘出用のナイフでしょう。エジプト文明下において手術などの医療技術は大いに進歩しました。もちろんギリシャ、ローマ時代に大きく発展したことは周知の事実ですが、その基礎を築いたのはエジプト文明の時代でした。

紀元後になると単に切ったりするだけでなく、穴を開けたり摘まんだりする道具が登場します。アラブで発見された1000年頃のピンセット、1200年頃にペルーで使用された頭蓋骨穿孔用の斧などの存在がそれを明白に物語っていると言えるでしょう。

現在伝えられているもので、日本で最も古い外科器具の一つと考えられているのは、箱書きに天文二年(1533年)と記されている奥田秀的の南蛮流外科器械です。奥田家は福井の医家で、当時三崎家や大月家と並ぶ旧家として知られていました。中に収められているものはアルメニア國、伝来南蛮外科器械とありますが、大半はオランダ流外科器械と考えられています。

日本で独自の外科器具を考案したのは、1805年に世界初の全身麻酔による乳がん摘出手術を行った華岡青洲です。青洲が考案したメスは華岡流ではコロンメスと呼ばれ、乳がん患部の腫瘍を周囲の組織ごと取り除くことができました。剪刀は持ち手部分が刃の部分よりも高くなっているバヨネット型剪刀で乳がん摘出の際に使用されました。これらは1780年代から1830年代に作られています。

日本に本格的な西洋の外科器具を持ち込んだのはシーボルトでした。1796年にドイツに生まれたシーボルトは1823年に来日、出島のオランダ商館医となります。翌24年には鳴滝塾を開校し西洋医学教育を行いました。シーボルトが使用した外科器具は日本にも残されています。驚くべきは外科用の剪刀で、これまで日本にはなかった先反りの刃でした。しかも刃と刃の間にはほとんど隙間がありません。こうした緻密な作りは手術における正確な動きを可能にしました。

幕末に外科器具を長崎の道具師に作らせたのは肥前(佐賀県)出身の外科医、三宅良斎です。江戸や銚子で開業した後、佐倉藩の医師となりました。外科を得意とし、睾丸裁除術や陰嚢水腫根治術などを行ったと伝えられています。当時、江戸には外科器具を作る人材がいなかったため、長崎で有名であった道具師を呼び寄せて作らせました。長崎時代からのつき合いであった順天堂医院創始者の佐藤泰然とは親交が深く、手術と西洋医学一般について終生互いに影響を及ぼし合っていました。

外科器具が世界規模で大きく発展したのは19世紀後半から20世紀前半にかけてのことです。今日使われている鉗子や剪刀、持針器はこの時期に欧米の外科医によって開発されました。止血鉗子に名を残すペアン(フランス:1830年~1898年)やコッヘル(スイス:1841年~1917年)そしてケリー(米国:1858年~1943年)、剪刀ではメッツェンバウム(米国:1876年~1944年)やクーパー(英国:1787年~1868年)、持針器はヘガール(ドイツ:1830年~1914年)などが知られています。外科器具の多くは慣例として考案した外科医や製造者の名で呼ばれ、それは現在も続いています。

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